(^~^)ょうこそょうこそ御訪問下さいました。。

 

光陰矢の如し、、還暦を過ぎ有限の世界に生かされ生きれる日々の残日も見えてきた今、何を為さねばならないかなぁ・・ほ’ホ~ん(笑)ハ~イ!

 

 

いなか町のタクシー乗務員として緑豊かな山辺の道を激動の昭和を生き抜かれながら残りの日々はわずかと思う御爺ちゃんに乗車いただき車中に一世の御話を聞かせいただく・・

 

 

農作業に発動機(エンジン)が使われるようになったのは此処では昭和の三十年代後半でしたかなぁ~?

 

 

「うん、そうだったかなぁ・・それまでは牛が主な働き手だったょ、、牛も使い方

が難しいけど発動機も慣れるまでは大変だったんだなぁ~」

 

 

そうですねぇ、、始動する時に確か?ガソリンを使い始動させた後で軽油に切り替

えるんでしたねぇ・・

 

 

「そうだょ!今のようにセルモーターではなくて発動機の弾み車に付いている取っ

手を手で回して始動させたんだなぁ・・シリンダー内の圧縮を抜きながら、全力で

回し回転を上げ圧縮弁を入れるんだょ、、それで始動するんだがねぇ、日によって

は始動しない時もあって・・それはそれは大変だったなぁ~」

 

 

ふむ~ん!そうですか、、自分も親父と一緒に始動できない発動機の前で半日も付きあった記憶がございます・・・

発火プラグが発火せずダイナモ?その頃はマグネットと云いましたかなぁ~?その

下に七輪で炭火を熾し乾燥させましたなぁ~(^~^)


消え逝く記憶をたどりながら御爺さんとの農業機械導入黎明時期について会話に花が咲く・・

重い重い鉄の塊そのものだった発動機・・10馬力も無かっただろうか?
それでもその力は農家にとり大事な宝、、、


確か?テレビが出まわる以前でございましたなぁ~


「うん!そうだょ、、発動機の力により農作業の手間が省けたので現金を得るのに

働きに出るようになりテレビも買えたわけだ。」


私も働きに出かけましたょ、、季節工として車の製造ラインに入りました、、
ライン地獄といわれる本が出てますが、それはそれは大変な世界でした。。

乗用車の運転席側のドアの取り付けを担当してましたが取り付け箇所はほとんど見えない車体の隠れた場所にあり感でボルトの角度を決めラビットと呼ぶエアツールを使いヒンジ(蝶番)ボルトを締め付けるんです。。

 

 

「クルマもずいぶんと進歩したなぁ~」

 

 

地の恵みとも云うべき鉱石より純化された鉄等を使い、ゆるみない人間の努力でク

ルマが出来上がり又、大地に眠っていた原油を精製しクルマを走らす。。

 

 

この恵みの結晶とも云うべきクルマを唯、単に己の欲望を満たすだけでなく何か社

会に貢献附加出来るクルマの利用方法として善い方法はないのかなぁ~かと考えていますょ、、、。