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先年主人を亡くされたお宅へ常の毎く配車をうける、、

まだ若いおばあさんが幼児園の孫さまお迎えにタクシーご利用だ、、、、

ご主人は70歳にとどかず亡くなられたと記憶しているが。。。

お酒、大好きなご主人は生涯に亘って自動車の運転免許を受けることなく過ごされた。
だから、御用事のある時には、殆どが我が社のタクシーをご利用戴いたなぁ・・・


長年ご利用戴きながら、そのつど毎に聞かして頂くお話は味、深く今でも懐かしく思い出すことができる。。


お若いころはプロのバンドマンとして活躍されバンドを離れられてよりは当地方の大手の会社で御活躍であった、、、


だから、所謂云うところの酸いも甘いも分かる御方であった。


島根県の温泉地でも筆頭に挙げられる玉造温泉の旅館でバンドの仕事をされている時に控室が旅館の倉庫であったそうなんだが、演奏後に倉庫に積んであった、、、ジョニ黒など、、当時としては高価な洋酒を自由に飲んでは空ビンを窓より川に流した等々、今では考えられない、腹をかかえ大笑いできる話。。。聞かせ戴いたたなぁ~



ゆとりのある良き時代であった・・・


バンドではドラムを担当されていたんだ、、だから時計を見ることなく正確な時間経過をあてられたなぁ~。


どうも頭?と、謂うか、身体で時間を刻まれていたようだ・・・


ともあれ、亡くなられたのは事実だ、、、残された夫人が氏の野辺の送りをされ又、孫様の面倒をみられる。。。


流れ流れゆく時間経過の中meも夫人もお孫さんも、ご主人を介してふれあっているんだなぁ・・


「たまには、ご主人の夢でもみられますかねぇ~」


夫人曰く、孫がねぇこの間変なこといいましたょ・・・



何とかゲームをしている時に、そばにお祖父ちゃんが見ていると、言う。。何だか不思議でしたょ・・と、


世の中には言語で表せない不思議不思議なことはたくさんあるなぁ・・


まぁいいさ別にmeは科学者でもないのだから客の御話についていくだけ、だからだけだからさぁ。。。


(^_^)Yahoo!myブログ

 

母の見合い写真か? 昭和18年頃
 

 
 
 
里帰りの母子と従姉 昭和28年頃
 
 
 

 
大正11年生まれの我が母が逝った・・享年91歳、難病認定をうけ10年か?激動の昭和時代に育ち終戦の間もない時に明治生まれの父に嫁ぎ、男尊女卑の家風で我等4人の子を育ていただいた!
母の葬送を終え、整理していた押入れより一冊の本を発見する。
 

初七日に母を偲び仏門に帰依しないながらも一読する。
農村と町家の狭間に存在の御寺ご方丈として檀家の方々に語られた説法が記録されている。
読みすすめ確かな知性を授け頂いた気持ちに至りながら母を偲び追善供養とは?あの世とは?
想い巡らしている。
盆に我等が見る月も隠世の月も一つであり同じ月を見るのだと方丈は云われる。
西行法師の出雲大社参詣の折に詠まれた「心よりほかに出雲の神はなし このからだこそ(社)なりけり」
 
忌とは、己の文字の下に心を表記、自身なくして忌むも無し・・
真に、理に叶った教え!
良寛和尚の最後の御言葉「死にとうはなし」  ふむ~ん!
 
やはり、人の死とは無に帰することか?墓を建て位牌を拝むとは己の、生ある人々の慰めに他ならないのか?
 
母は無に帰したのか?葬儀を終え介護疲れもあり血圧が上がった自身を労わり霊位の前で横になりながら仕上げと呼ばれる葬送にかかわった親戚の会食に参加せず壁に体をあずけウトウトしていたらテニスボールのようなモノが何度となく尻に当たる感触で目覚め親戚の皆との会食に参加したのだが・・
今、振り返り不思議なことであったと思わざるをえない気持。
 
先人の苦労の日々の積み重ねで出来上った思う日本国!世の中!その中で、母は激動の昭和を生きぬき我等を育てくれた!
農地改良も行われていない戦後の出雲の湿田に泥にまみれての米作り、僅かな米の売り上げ代金で慎ましやかに生活し祖父に仕え晩年は狂信とも思う父に仕えながら神を拝し、その信仰のゆるぎない体験に基づいた背景を死するまで繰り返し語ってくれた。
 
母が幼い頃に患った病気により小学校の学びも身につかない儘それでも晩年は神書と云われる本を読みテレビのニュースの感想を語りボケることなく私に「もう、帰る」と苦しい息の中で語りかけ又、遠路を夜通し車で駆けつけた義弟には昏睡状態にありながら目を開き挨拶を受け累年に亘り治療をうけたDr.の病室での朝の挨拶を受け間もなく息をひきとった母。
 
「ただ、人の世は直日に見直せ聞き直せ身の過ちはのり直せ」
 
今日が誕生日だったと思う明治四年生まれの農家の青年が創った歌を好んで口ずさんでいた母。
 
やはり、生きものを育てる事を心底に持つ人間と利益を追求する人間の根本は違うなぁ~母の一世を肌で感じながら思うことしきり・・
 
参議院選挙の投票権を失った母だが生きていれば何方誰を選ぶだろうか?
農協の共済組合主催の小旅行を楽しんでいた母の写真を見ながら想い巡らす。
 
少なくとも利益を追求してきた人間は選ばないと思う。
 
目にも見えない「ほとけ」さまに仕えながら素晴らしい御法話を遺された東白寺ご方丈の知性が議員の方々に伝わればと念じているが・・
「思いやりだずね」
戦役での体験を元に軍隊組織の中で悟られ後世に話された方丈の御言葉を有難く拝読して
亡き母の追善供養と致そう。
 
尚、末尾になりましたが折々にウェーブ上で訪問しますYahoo!ブログ名「この者に天のご加護を」農業の傍ら輪島塗をなされます職人でもありますが、母の他界の後に偶然に素晴らしい塗り箸を送って頂きました。箸を取って頑張って生きょ!との、天よりの意であろうか?
 
 
 
末記:Yahoo!ブログを始めて7年目、9年前に旅立った父の葬送を記録できなかった。
Taxi野郎として社会の底辺で生きながらもブログに母の記録が残せた事を嬉しく思いYahoo!の永続性を願ってペンを置きます。          頓首
 
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        kyomutekisonzaironさま!お今晩は~でございます。

先日、我が母が骨髄異形成症候群と云われます難病を10年に亘り患って逝きました。

母は自身が何で難病を抱えたかを私に問いましたが答えようがございませでしたが発病当時に診断を受けました大学病院の教授の説明では骨髄内で形成さる血液細胞が最終段階のホンの僅かな差で異形成となるとの事だったと記憶致してます。

骨髄に影響を及ぼすホンの僅かな内外的の要因は知る術もございませんが普通に鑑みるならば骨を、体内を通過する放射線、電磁波も要因では?と考えてたり致してます。

Taxi業務で定期的に乗車頂く山里に住むお客様が車中で語りながら自分の家は川の最上流に位置し川を汚さないできたのだが年々少なくなる蛍は大気汚染の雨が降ることによるのでは・・・ 人の性は足元に火が点いてからようよう気づき慌てフタメクとか、自身もその内の一人と覚悟で喪に服しながらが斯様に思い居ります。 頓首 
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2013/7/15(月) 午後 8:46 [ {^美м楽^} ] 過去記事にリンク致します